大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和49年(ネ)510号 判決

控訴人 株式会社美多加堂

右訴訟代理人弁護士 山下義則

同 内田茂

被控訴人 久保門八

右訴訟代理人弁護士 町田繁

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴会社代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人に対し、六六〇万円およびこれに対する昭和四六年二月一日から右完済に至るまで年九分五厘の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、こゝにこれを引用する。

控訴会社代理人は、次のとおり述べた。

一、被控訴人は、滝川岬一が足利銀行から金員を借受けるについて、その保証人となっていたが、昭和四五年四月頃右貸金債務の弁済期日を変更するについてその書替手続を滝川に委任し、そのための代理権を授与して被控訴人の実印を滝川に交付した(基本代理権)。

滝川が被控訴人の代理人としてなした控訴会社との間の本件金銭消費貸借契約が右基本代理権の範囲をこえてなされたとしても、控訴会社は、滝川に代理権限があると信じていたものであって、控訴会社がそのように信じた理由は原審において述べた(原判決請求原因二の(二))ほか、次のごとき事由に基くものであるから、民法第一〇九条もしくは第一一〇条に規定する正当の理由がある場合に該当するので、被控訴人は、同条により前記金銭消費貸借契約につき本人としてその責があるものである。なお、被控訴人が滝川に実印を交付したことが同法第一〇九条にいう代理権を与えたことを他人に表示したものにあたる。

(1)被控訴人は、滝川に実印を交付して、滝川は、本件金銭消費貸借当時被控訴人の実印を所持し、金員連帯借用証書(甲第一号証)に被控訴人の実印が押印されている。

(2)滝川は、被控訴人所有の土地の登記済権利証、印鑑証明書、本件金銭消費貸借の資金を控訴人が富士銀行から借入れるについての根抵当権設定契約のために必要な被控訴人の実印を押印してある根抵当権設定登記委任状を所持していた。

二、仮りに滝川の前記基本代理権が本件金銭消費貸借契約当時すでに消滅していたとしても、控訴会社は、滝川が過去において金銭借入れに関し被控訴人を代理する包括的権限を有していたことを知っていたところ、右代理権の消滅を過失なくして知らなかったし、滝川に被控訴人を代理して前記消費貸借契約を締結する権限があると信じたものであり、控訴会社がかく信じたことについては正当の理由(民法第一一〇条の表見代理に関して、原審および前項において述べたとおり。)があるから、被控訴人は、控訴会社に対し、民法第一一〇条第一一二条により本件金銭消費貸借について本人として責を負わねばならない。本件においては、代理権消滅の時点と本件金銭消費貸借契約の時点の隔差は短日時であるから、単に民法第一一〇条のみ適用されるものと考えてもよいのであるが、形式上代理権消滅後の場合であるので、民法第一一〇条と第一一二条の重複適用を主張しているのである。

三、控訴会社が滝川の基本代理権の具体的内容を知っていることは、表見代理の要件ではなく、滝川が被控訴人から金員借入れについて何らかの代理権を付与されていることを知っておれば十分である。控訴会社が第一項冒頭において滝川の基本代理権について述べた趣旨は、被控訴人が滝川に実印を交付したことが被控訴人の意思に基くものであり、その趣旨が滝川に前記代理権を付与したことを主張しているものである。

原審における被控訴人が株式会社滝川商店の取締役との権限を包括的に滝川に委任していたとの主張は、表見代理の基本代理権として主張するものではなく、事情として述べるものである。

被控訴代理人は、次のとおり述べた。

控訴会社の表見代理の主張は、いずれも否認する。

控訴会社は、滝川が被控訴人の足利銀行に対する保証債務について弁済期日変更の手続をとる代理権を有していたことを知らなかったのである。被控訴人が原審において、たまたまその旨の答弁をしたのを奇貨として、控訴会社は、右代理権をもってその主張する表見代理の基本代理権と主張しているにすぎない。

控訴会社は、滝川を信用して本件金銭消費貸借契約を結んだもので、表見代理成立の前提である基本代理権の存在は全く知らなかったのである。

証拠〈省略〉。

理由

一、原審証人仲野裕三の証言ならびに原審および当審における控訴会社代表者尋問の結果によれば、控訴会社は、昭和四五年四月二五日滝川岬一と被控訴人を連帯債務者として、右両名に七〇〇万円を控訴会社主張の如き条件で貸し付けたこと、前記金員は、控訴会社が株式会社富士銀行川口支店から貸付けを受けてこれを前記両名に貸し付けたものであるが、同銀行から右貸付けを受けるに当っては、滝川および被控訴人が連帯保証人となり、被控訴人所有の不動産を担保として提供していること、控訴会社との間の金銭消費貸借契約、前記銀行との間の連帯保証契約および根抵当権設定契約は、すべて滝川が被控訴人の代理人としてこれらを締結していること、そしてこれら契約について作成された契約書(甲第一号証)および登記申請のための委任状(同第三号証の二)は、予め手渡された用紙に被控訴人の住所、氏名を記載し、その名下に押印したものを滝川より控訴会社もしくは前記銀行に提出されたものであることが認められ、右認定を左右しうる証拠はない。

二、そこで、滝川が被控訴人を代理してこれら契約を代理する権限を有していたか否かについて判断する。甲第三号証の二(委任状)の被控訴人名下の印影が被控訴人の印章によって顕出されたものであることは当事者間に争いがないので、反証のない限り右印影は被控訴人の意思に基いて顕出されたものと事実上推定しうるところであるが、被控訴人は、右は印章の濫用によるものであると抗争するので、この点について審究する。原審における控訴会社代表者ならびに原審および当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、右印影は、被控訴人が押印したものではないこと、被控訴人は、その所有不動産に前記銀行のため根抵当権が設定されていることを昭和四五年一一月一六日頃農協で教えられるまで知らなかったこと(いずれも成立に争いのない甲第七号証の一ないし八によれば、被控訴人は、同日付で右不動産について荒砥農業協同組合のため根抵当権設定登記を経由している。)、被控訴人は、自己の実印を自宅の仏壇を置いてある箪笥の鍵のかゝらない抽斗に入れて保管しており被控訴人の二女で滝川の妻である幸子も滝川もそのことを知っており、滝川夫婦は月に三、四回被控訴人方に出入りしていたこと、本件消費貸借については、夫婦で控訴会社に申入れ懇請していることが認められ、これらの事実からすれば、滝川が単独であるいは妻と共同で被控訴人の印章を濫用したものではないかとの疑いをいれる十分の理由があるので、かゝる事情のもとでは前叙の如き推定を用いる余地は全くないものといわなければならない。次に前記甲第三号証の二の被控訴人の署名の筆跡を本件記録中の原審および当審における被控訴人の宣誓書の署名と対照するときは、明らかに相違していることが認められ右事実と原審および当審における被控訴人本人尋問の結果と併せ考えれば、甲第三号証の二の被控訴人の署名は被控訴人の自署であると認めることはできない。従って甲第三号証の二は、被控訴人の署名および印影がいずれも被控訴人の意思に基いて真正に成立したものと認めることができないから、右文書の被控訴人作成名義部分は、真正に成立したものと推定することができず、他にその成立を認めるに足る証拠はない。よって甲第三号証の二の被控訴人作成名義部分は証拠力を有しないものといわざるをえない。

原審証人仲野裕三の証言、当時における控訴会社代表者尋問の結果によれば、甲第三号証の三(印鑑証明願および同証明書写)の原本は、滝川が前記根抵当権設定登記手続に必要な書類の一として他の必要書類とともに前記銀行に提出したものであり、同第五号証(印鑑証明願および同証明書)は、その際滝川が控訴会社に交付したものであることが認められる。しこうしてこれら文書の印鑑証明願部分の被控訴人名下の印影および証明の印影が被控訴人の印章により顕出されたものであることは当事者間に争いがないが、右印影および被控訴人の署名は、さきに甲第三号証の二(委任状)についてみたと同一の理由により、被控訴人の意思に基いて顕出された印影もしくは被控訴人の自署と認めることはできない。そしてこれら事実とこの点に関する原審および当審における被控訴人本人尋問の結果を併せ考えるときは、これら印鑑証明書はいずれも被控訴人の意思に基づく申請により交付されたものであると認めることはできず、従って甲第三号証の三および同第五号証は、被控訴人が滝川に本件代理権を授与したものであるとの控訴会社の主張事実を認定する資料となすに足らず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない(なお、甲第一号証(金員連帯借用証書)、同第六号証の一、二(借用証書)は、その成立の点はしばらくおくとしても、その記載内容自体右主張事実を証明する資料となすに足らない。)。

三、次に控訴会社の表見代理の主張について検討する。

被控訴人は滝川が株式会社足利銀行から金員を借受けるにつき保証をしていたが、昭和四五年四月頃右債務についての書換え(弁済期日の変更)のために滝川に代理権を授与して、被控訴人の実印を交付したことは、当事者間に争いがない。なお、控訴会社は、被控訴人が滝川に対し、前記保証をなすについての一切を包括的に委任し、代理権を授与していたと主張するが、右事実を認めるに足る証拠はない。

控訴会社は、まず右代理権の存在を前提として民法第一一〇条の表見代理を主張する。前記株式会社足利銀行に対する被控訴人の保証債務の弁済期日の変更は、事柄の性質上短期間内に処理しうるものと考えるのが相当であり、右処理が完了すれば、そのために授与された滝川の代理権は委任の終了により消滅するものと解すべきである(そしてかゝる個別的な代理権にあっては委任事務が完了すれば、代理権授与の際交付した実印等の返還を受けなくとも、代理権は消滅するものと解するのが相当である。)。ところで滝川が昭和四五年四月のいつ頃前記代理権を授与されたかは明らかでなく、本件にあらわれた全証拠によるも、滝川が被控訴人の代理人として控訴会社との間に本件消費貸借契約を締結した当時前記代理権が存続していたものと認めることはできない。してみれば、本件消費貸借契約当時は滝川は、被控訴人を代理する何らの権限をも有しなかったのであるから、滝川が被控訴人を代理してなした本件消費貸借契約の締結は、基本代理権の存在を欠く故、そのまゝでは民法第一一〇条にいわゆる表見代理行為に当らないことはいうまでもない。

本件消費貸借契約の締結当時滝川に前記保証債務の弁済期日変更の代理権の存在しなかったことは、右にみたとおりであるから、滝川は、右代理権を本件消費貸借契約締結より以前に授与され、右契約当時すでに消滅していたか、それとも右契約締結後に授与されたかのいずれかであるが、後者の場合にはもはや表見代理の成立を考える余地はない。そこで前者の場合に表見代理が成立しうるか否かについて考える。代理権消滅後従前の代理人がなお代理人と称して従前の代理権の範囲に属しない行為をした場合においても、もし相手方が過失なくして代理権の消滅を知らないときは、従前の代理権がある以上、さらにそれ以上の当該事項についても代理権があるものと信ずることあるべく、しかも相手方がかく信ずるにつき正当の理由を有するときは、かゝる相手方は保護に値するので、民法第一一〇条第一一二条の規定の精神に則り、これを類推適用して本人をして当該代理人と相手方との間になした行為についてその責に任ぜしめるのが相当である(大審院昭和一八年(オ)第七五九号同一九年一二月二二日民事連合部判決参照)。そしてこの場合には、相手方は、従前の代理権の存在を知り、かつこれを知るが故に従前の代理権消滅後の、しかもその範囲をこえた無権代理行為について権限ありと信ずべき正当の理由を有するに至ったことを要するものと解するを相当とする。いまこれを本件についてみるに、本件消費契約が締結された昭和四五年四月二五日当時控訴会社において、それ以前に滝川が前記保証債務の弁済期日の変更につき被控訴人より代理権を授与されたとの事実を知っていたものと認めるに足る証拠はない。してみれば仮りに控訴会社において滝川が本件消費貸借契約の締結に関し被控訴人を代理する権限を有していたものと誤信していたものとしても、これがため滝川の無権代理行為について被控訴人をしてその責に任ぜしむべきではない。従ってその余の点につき判断するまでもなく、この点に関する控訴会社の主張は理由がない。

なお、控訴会社は、被控訴人が前記保証債務の弁済期日の変更のため滝川に代理権を授与した際、実印を交付したことをもって代理権の授与を表示したものとして民法第一〇九条による表見代理が成立すると主張するが、被控訴人が前記認定の経緯のもとに滝川に実印を交付したことをもって、控訴会社に対して代理権一の授与を表示したものということはできないから、その余の点につき判断するまでもなく、この点に関する控訴会社の主張は理由がない。

よって表見代理に関する控訴会社の主張は、すべて理由がないものといわなければならない。

四、以上の次第であるから、被控訴人に対し、滝川が被控訴人の代理人として控訴会社との間に締結した本件消費貸借契約の効力を及ぼすことができず、従って控訴会社は、被控訴人に対して右消費貸借契約に基く義務の履行を求めることはできないものといわなければならず、控訴会社の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく失当として棄却すべきである。

よって右と同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとして、民事訴訟法第三八四条第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田辰雄 裁判官 小林定人 野田愛子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例